地福寺の近くに、鎮魂の森があります。ここは気仙沼市立松岩小学校の教諭であった畠山登美子さん(当時五十歳)一家が帰らぬ人となった場所です。
屋敷跡をご親族が鎮魂の森に、と地福寺に寄進していただき、地元有志で立ち上げたNPO法人「海べの森をつくろう会」が森の防潮堤の先駆けとして三千本を植樹、津波から残った杉の木に、チェンソーアート第一人者の城所ケイジ氏が、安らかに「天に昇れ」との願いを込めた「昇竜」(高さ九メートル)が彫刻されてあった場所です。(参考記事「昇天の竜」)
東日本大震災の甚大な被害と、あのときの気持ちを忘れないために、この昇竜を保存する計画を進めておりましたが、今回地福寺の花園会館に安置いたしましたのでご報告いたします。
地福寺にいらした際には、ぜひ触れていただければと思います。
東日本大震災遺構の提案「波路上地区一帯を遺構に」より引用
地福寺から西方角お伊勢浜方面に至る五十メートル程に「鎮魂の森」の看板がある。ここは気仙沼市立松岩小学校の教諭であった畠山登美子さん(当時五十歳)一家が帰らぬ人となった場所である。屋敷跡をご親族が鎮魂の森に、と地福寺に寄進し、地元有志で立ち上げたNPO法人「海べの森をつくろう会」が森の防潮堤の先駆けとして三千本を植樹、津波から残った杉の木に、チェンソーアート第一人者の城所ケイジ氏が、安らかに「天に昇れ」との願いを込めた「昇竜」(高さ九メートル)が彫刻されてある。
登美子さんの祖父は明治二十九年の大津波で父を亡くし、村人と共に集団移転でこの地に家を構えたが、百十五年後に再び被災し、一家は絶えたのである。祖父から何度も伝え聞いていたのであろう悲惨な津波被災の思いを彼女は短歌にし、
と歌った。
「春彼岸 津波寄せ來きし浜に立つ わが曾祖父も波に消えたり」
朝日歌壇に入選作品として紹介されたのは震災から一か月後であった。
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