2014年末〜2015年始にかけての地福寺での催しをご案内いたします。
除夜の鐘
- 12月31日 午後11:30〜
修正会
- 1月1日 午前0:00〜
- 1月2日〜3日 午前7:30〜
新年廻礼
- 1月4日
お寺まいり
- 1月16日 終日
※吊るし雛は15日〜16日の二日間展示いたします。
気仙沼市波路上牧の地福寺(片山秀光住職)に、東京都墨田区の回向院から贈られた延命菩薩(ぼさつ)像が安置されている。
菩薩像は手彫りの像で高さ約50センチ。地福寺の本尊延命地蔵菩薩が、回向院の出開帳(11月8〜24日・回向院)に招かれた際、触れることができない地福寺の本尊に変わって、じかに触れて参拝できるようにと、製作された。
この時、菩薩像は2体製作され、1体は江戸時代に起こった明暦の大火での犠牲者鎮魂のために建てられた、回向院に置かれ、もう1体が地福寺に贈られた。
ともに天災の犠牲者を祈るものとして、東京と気仙沼で、鎮魂につながってほしいという意味が込められている。
地福寺では杉ノ沢でなくなった犠牲者が眠る一室に安置されている。回向院は浄土宗、地福寺は臨済宗と宗派を越えて縁を結んでおり、片山住職は「菩薩像は犠牲者の鎮魂や生きることの尊さを教えてくれるはず」と話した。(三陸新報 平成26年12月26日より引用)
平成26年11月8日から24日、宮城県気仙沼市波路上にある臨済宗妙心寺派地福禅寺御本尊・延命地蔵菩薩様が、諸宗山無縁寺回向院での出開帳の為、東京都墨田区両国までご来臨下さいました。
この出開帳は平成23年に起きた東日本大震災の復幸支縁を目的に、気仙沼・両国を中心とした沢山の人々に支えられ開催に至っております。この出開帳による縁の証として、延命地蔵菩薩様のお前立像を二体製作しました。追善回向と生きとし生けるすべてのものの幸せを願い、出開帳に訪れた方に直に触ってお参りして頂くことで、それらの想いが深く刻まれた尊像が完成します。出開帳後には、一体を地福禅寺に、一体を回向院に安置し、天災で亡くなられた多くの生命の供養のため、また一日も早い復幸を祈願するとともに、こうして結ばれたご縁が末永く続くこと、慈悲の光が隅々までいきわたりますことをお祈りしております。(「延命地蔵菩薩 結縁之証」より引用)
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すっかり寒くなってまいりました |
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昨年のようす |
気仙沼市階上の地福寺向かいの被災地で、チェーンソーアート第一人者の城所ケイジさん(45)が、津波被害を受けた木を使って昇竜のモニュメントを制作している。
城所さんは全国の被災した寺院に鎮魂や早期復興を願い、竜の彫刻を寄贈しており、先日、本吉町の浄福寺にも2対の竜を製作、寄贈した。
今回も大、中、小のチェーンソーだけを使い、津波被害を受けた約10メートルの杉に竜を彫っている。
樹齢100年以上を数える木は、明治三陸津波で高台移転した住民が植えたものという。今回の震災で犠牲になった小学校教諭 畠山登美子さん(当時52)の自宅があった場所でもある。
城所さんは「犠牲になった人たちの魂が、安らかに天に昇ることを願っている」と語り、夏の日差しを受けながら懸命に作業を続けている。きょう29日には地面から天に向かう昇竜が出来上がる予定だ。
周辺は住民による「海べの森をつくろう会」の森の防潮堤の先駆けになる場所で、同会では、震災前に詠んだ畠山さんの歌碑を造るなどし、竜のモニュメントと合わせて鎮魂の森としての整備も目指している。
片山秀光住職は「被災を絶対に風化させてはならない。減災や住民の命を守る目的で植えた杉を使った竜が、亡くなった魂を天に導いてくれるはず」と話した。(引用)
- すぐに高台や津波避難場所あるいは津波避難ビルなど頑丈な建物のできるだけ上の階に避難しましょう。
- 海の中にいる人に知らせてください。
- 自動車での避難はやめましょう。
歌手生活の始まりはハワイアンバンドであるが、スタンダードやシャンソン、カンツォーネ、ラテン、ポップス、民謡、歌謡曲…などジャンルを問わず幅広くライブ活動をする中、デビュー曲「マディソン郡の恋」と出会い2004年4月にインディーズで発売。
- 出身/東京都 深川生まれ
- 誕生日/1947年6月21日
映画「マディソン郡の橋」をモチーフにした切ない大人の恋物語を、ルンバのリズムにのせた哀愁溢れるアレンジと、秋元順子の伸びやかで心に沁みる歌声が、一度聞いたら忘れられないと大評判に。
インディーズ発売直後から口コミで広がり、有線問い合わせランキングで連続1位になり、2005年7月メジャーデビュー。
秋元順子 オフィシャルサイト
節語り説法ユニット カッサパ(三迦葉):被災地気仙沼から発信。励ましと慈しみの節語りと音楽で、未来への光をさししめす。国際的ジャズドラマーであるバイソン片山の実兄・片山秀光和尚率いる唄と語りの説法グループ「カッサパ(三迦葉)」。故郷の人々を励まし続け、被災された人々を慈しみ一日も早い復興をとの想いを世に発信していかなければならないと活動を再開しました。禅の教えを元にした法話と音楽で、被災地の現実を語り唄う「語り部」として全国行脚を続けています。
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気仙沼津波被災写真展のようす(撮影: 梅津 覚太郎) |
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気仙沼から駆けつけている浜焼きチーム(撮影: 梅津 覚太郎) |
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節語り説法ユニット カッサパ(三迦葉)11月16日演奏時のようす(撮影: 梅津 覚太郎) |
youtubeから引用:東京は下町 両国を拠点にオートバイの販売・修理・カスタム・車検等、オートバイに関するあらゆる業務を行っております。このyoutubeチャンネルは当店の販売車両や整備記録、たまにバイクとは関係の無い動画まで、あらゆる方々にご覧頂きたく配信をしております。気になるバイクやご質問があれば是非、以下HPよりお問い合わせ下さい。ラッキーウイングyoutube概要から引用させていただきました
2011年3月11日午後2時46分東日本大震災が発生。多くの命・財産を失ったあの出来事を思い起すのもつらい事ですが、この出来事を風化させることなく親から子へそして孫へと受け継がれながら言い伝えていくのが私達の役目ではないでしょうか。これからも起こりうる災害に対し私たち住民が地域一体となって何をすべきかを考えていかなければならないと思っています。
あの時誰しもが「まさか」と思っていたあの瞬間を自らが被災に遭われながらも被災者を探し歩き、慰め励ましながらこの3年間元気に生きることを教え全国は及ばず、世界にもその実態と復興支援の感謝を節語りで説き歩いているご住職のお話です。(パンフレットから引用)
1975年、フォークデュオ JUNK(ジャンク)として、「鵜戸参り」(作詞作曲:小川ロン)でCBSソニーよりデビュー。シングル4枚をリリース。1977年解散。「鵜戸参り」はその後、香港において「無奈」というタイトルでテレサ・テンらによりカバーされ大ヒットした。JUNK解散後、仙台を拠点にソロで活動、NHK仙台FMでパーソナリティーをつとめる。1988年、活動の拠点を京都に移し、ギター一本を抱え全国各地でのライブをはじめ学校や施設など精力的に演奏活動を繰り広げている。2005年、初のソロCD「巡礼」をリリース。続いて「迷い草」を発表。好評を得ている。気仙沼でのライブは15年前からほぼ毎年開いており多くのファンをもつ。JUNKとしては初のライブとなる。
1971年、「高石ともやとナターシャセブン」のメンバーとしてプロ活動開始。1973年、小川ロンとフォークデュオJUNK結成。1977年解散。1978年「ユイ音楽工房」に入社。伊勢正三のマネージャーを経た後、南こうせつ、高石ともやなど多くのアーティストのレコードやCDを制作。プレーヤーとしても吉田拓郎、長渕剛、山本コータローらとライブやCD制作で共演を重ねている。TVではTBSドラマ「渡る世間は鬼ばかり」でおやじバンドの演奏指導を行った。演奏楽器はアコースティックギターの他マンドリン、バンジョーと多彩である。
youtubeから引用:東京は下町 両国を拠点にオートバイの販売・修理・カスタム・車検等、オートバイに関するあらゆる業務を行っております。このyoutubeチャンネルは当店の販売車両や整備記録、たまにバイクとは関係の無い動画まで、あらゆる方々にご覧頂きたく配信をしております。気になるバイクやご質問があれば是非、以下HPよりお問い合わせ下さい。ラッキーウイングyoutube概要から引用させていただきました
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橋本茂善さん(気仙沼観光コンベンション協会)と |
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片山秀光和尚の法話のようす |
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節語り説法ユニット カッサパ(三迦葉)の公演のようす |
節語り説法ユニット カッサパ(三迦葉):被災地気仙沼から発信。励ましと慈しみの節語りと音楽で、未来への光をさししめす。国際的ジャズドラマーであるバイソン片山の実兄・片山秀光和尚率いる唄と語りの説法グループ「カッサパ(三迦葉)」。故郷の人々を励まし続け、被災された人々を慈しみ一日も早い復興をとの想いを世に発信していかなければならないと活動を再開しました。禅の教えを元にした法話と音楽で、被災地の現実を語り唄う「語り部」として全国行脚を続けています。
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明戸虎舞打ちばやしが浄道場の儀式をつとめました |
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地福寺の本尊延命地蔵菩薩坐像(中央) |
あの大震災から3年... 東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市地福寺のお地蔵さん(本尊延命地蔵菩薩坐像)に回向院にお越しいただき、亡くなられた多くの方々のご供養と被災地の復興を祈ります。出開帳は、回向院で江戸時代から続く行事で、「平成の出開帳」は昨年5月の信州善光寺の出開帳に続き、2回目になります。「お地蔵さんとの結縁により復興の光」を届けたいという想いを込めて、「復”幸”支”縁”」として収益を全て被災地支援に充てる予定です。(パンフレットより)
出開帳は、普段拝むことのできない寺院の本尊などにお越しいただき、一定期間参拝できるようにする行事で、江戸時代は回向院で度々開催されていました。安永7年(1778年)の善光寺出開帳では60日間で1603万人の参詣があったと云われています。
今回お地蔵さんがお越しいただく地福寺は、宮城県気仙沼市波路上に位置し、東日本大震災で津波にのまれました。同寺は、明治29年6月にも三陸大津波の被害を受け、壊滅状態となった地であり、あの日、再び大きな被害を受けました。九死に一生を得た片山秀光住職は「多くの人がこの地を去るかもしれないが、寺が残って頑張らないと、離れた人が戻ってくる場所、心の古里がなくなる」と語ります。合言葉は「めげない にげない くじけない」。住職が階上中の体育館に張った、被災者を励ます言葉です。(パンフレットより)
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節語り説法ユニット カッサパ(三迦葉) |
凌雪軒猊下と |
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東日本大震災直後に撮影、左端が凌雪軒猊下 |