地福寺(気仙沼)

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2016年3月20日日曜日

難除け十一面観音像の開眼供養をおこないました


3月20日、地福寺本堂にて難除け十一面観音像の開眼供養をおこないました。


この難除け十一面観音像は、東日本大震災の惨状を目の当たりにした須藤廣志様(千厩町・建設業)と畠山誠之様(千葉県流山市・仏像彫刻師)が震災犠牲者の為造仏を決心し青森県蟹田の樹齢330年の青森ヒバ材を用い、心身潔斎古代手法(一木造り)にて彫り上げられたものです。


片山住職によって、開眼供養が行われました。本堂に向かって右側の部屋(位牌堂)に祀られています。


難除け十一面観音像の開眼にあたり、片山住職による大般若の転読が行われました。

大般若会

大般若会は、日本では奈良時代から始まり、主に国の繁栄や除災招福を祈願して大般若経六百巻を読誦して行われる法会です。大部の経典なので、お経を一巻ごとバラバラと翻して読む方法で行われ、これを転読といいます。

勇壮な声を上げて諸魔の降伏と、諸縁成就を記念します。


片山住職よりご挨拶させていただきました。

皆様、本日はお忙しいところ、こうしてお集まり頂きまして、ありがとうございます。

当山にこの十一面観音様が祀られるのは、志ある方々からの色々な縁があったわけであります。本当にありがたいことだなと思っております。

地福寺の周辺を須藤さん、それから仏師の畠山さんが通りがかった時に、この悲惨な状況を見て「何か私たちにできることを」ということがきっかけだったようでございます。

そのあと、志ある方々との出会いがあり、色々な方々のご縁でここに祀られるということになったわけであります。

観音様というと、有名な観音様もたくさんありますが、十一面観音は本当に顔が十一面飾ってあります。悲しい顔、苦しそうな顔、嘆き叫んでる顔、しかし人々のまごころを得てにこにことなさっている顔。

我々もそうじゃないですか。泣いたり笑ったり、本当にそうした思いを頭上に現している観音様でございます。

私どもは、たくさんお経を読みます。今日もたくさんのお経を読みましたけれども、実は、みんな観音様のお話です。

一番最初に読んだ、摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)。一番最初に出てくるのは観自在菩薩。観音様です。それから観音経。何遍も観音様の功徳が出てきます。それから、よくこれはお葬式でも、今日の彼岸の供養でも読み上げる大悲呪という「なむからたんのー、とらやーやー」。何のことかわからないと思うんですけれども、これも実は観音様を称えるお経なんですね。

なぜそうしたお経を読むか。

須藤さんが精をこめて青森から三本の太い太い木を、たくさんのなかから選りすぐって選んだ。そうしてそこに精魂込めて、のみを振るった仏師の畠山さん。

その御心をありがたくいただかなくてはならないんですけれども、実は「観自在菩薩」でございますので、漢字で書くと「観ればおのれに在る仏」と書くんですね。

このお話の通り、たくさんの私どもはまごころをいただきました。そのまごころを力に、私どもこれからまた頑張ってまいりたいと思いますし、そうした象徴としての十一面観音だと、というふうに捉えて頂ければ、ありがたいと思います。

本当に、たくさんのご縁を有りがたく思っております。どうぞ先生方にも、またよろしくお伝え下さい。それから、須藤様、本当に御苦労なさったと思います。そして畠山様、本当に精進潔斎、仏像を彫るっていうのは大変なことですのでね、本当に精魂込めて彫られたと思うんです。

当山が、永久にここに地福寺が続く限り、この仏さまはみなさんに拝まれていくわけでございます。

どうぞ、うちの檀家の皆様方もこれから愛でていただいて、仏さまがいっぱい、次から次と来まして、ありがたいことだな、と思います。

こちらのお地蔵様は名古屋から、それから小柄なお地蔵様は江戸の両国から、そして今度はこうして岩手からと、というふうに、仏さまが次々と参りまして、ありがたいな、と思っております。本当にありがとうございました。

2016年3月18日金曜日

3月20日日曜日10時より 十一面観音像 開眼供養


以前からご紹介させていただいておりましたが、3月20日(日曜日)10時より、地福寺の本堂にて、十一面観音像の開眼供養をとり行います。(彫刻の様子などについては、のじさんの徒然草をご覧ください)

当日はどなたでもご参加いただけます。どうぞよろしくお願いいたします。

大白隠展 -現代によみがえれ、下化衆生の精神-


平成28年は臨済禅師1150年遠諱(おんき)、平成29年は日本臨済宗中興の祖である白隠禅師の250年遠諱を迎えます。その白隠禅師の墨跡書画を東日本大震災被災地で紹介し、被災者の方々の安寧と、復興に携わる方々の活力に繋がることを念願し企画するものです。

江戸中期の禅僧である白隠慧鶴(はくいんえかく)は東海道原宿松蔭寺の住職で、公案(禅問答)を体系化し、多くの弟子を育成したことによって、臨済宗中興の祖と称えられ「五百年間出」と呼ばれています。また、禅師は弟子の指導や信者の教化のために数万点ともいわれる墨蹟書画を遺しています。これまで、白隠墨跡の評価は高く、海外にもその名が知られていましたが、近年は花園大学元教授 芳澤勝弘先生の研究により、長年不明だった絵解きがなされるとともに、新出の白隠墨跡が発見されることが多くなりました。

今回の展示は芳澤先生監修のもと、白隠禅師が活躍された沼津にて長年に亘り禅師の墨跡を蒐集されてきた個人のコレクションを中心に、新出資料や地元宮城で秘蔵されてきたものを併せて白隠禅師の墨蹟書画200点余を、かつてないスケールで紹介するものです。

大白隠展 -現代によみがえれ、下化衆生の精神-

  • 4月16日〜6月26日
  • 東北歴史博物館・瑞巌寺宝物館(2会場同時開催)

地福寺にチラシがございますので、来山時に気軽に問合せください。

「気仙沼 励ます歌声」歌手:大城バネサ

昨年4月、地福寺でヒット大祈願をさせていただいた他、何度もご紹介をさせていただいております、アルゼンチン出身の歌手、大城バネサさんが、3月15日に本吉の老人ホーム2箇所、3月16日には気仙沼の仮設住宅でミニコンサートを開催しました。

参考記事:「俺の漁歌」大城バネサ 新曲発表ライブ&ヒット大祈願

その様子を、河北新報、読売新聞が報じていますので紹介させていただきます。


3月17日河北新報「どこに住もうと歌で心一つ 気仙沼の仮設住宅 歌手大城さん慰問」


3月17日読売新聞「気仙沼 励ます歌声 アルゼンチン出身・大城さん 毎月慰問 これからも」

東日本大震災で被災した気仙沼市の人たちを、アルゼンチン出身の日系2世で岐阜県羽島市を拠点に活動する演歌歌手・大城バネサさん(34)が励まし続けている。復興を目指す漁師町の人たちのたくましさに勇気づけられながら、被災地に通い続けて3年。16日も気仙沼の仮設住宅で歌声を響かせた。(一部抜粋)

本日の地福寺(2016年3月18日、晴れ)


本日の地福寺は快晴、抜けるような青空、という感じではありませんが、春らしく柔らかいマーブル模様の空色が広がっています。


今日も復興作業のトラックが行き交い、ユンボが首を振っています。海は穏やかにキラキラと輝いています。


「今日彼岸、菩提の種をまく日かな」

春のお彼岸に入っています。お墓参りですこし賑やかな地福寺です。


この活け花は池坊師範の鈴木優月さん(地福寺花園会女性部れんげの会の庶務をつとめられています)が定期的に活けてくださっているものです。

お彼岸です

春のお彼岸です。

地福寺の寺務所の前の桜をよく見ると、春の息吹が感じられます。暖かいこの頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。スタッフはくしゃみが止まらず困っているようですが、これも春の訪れですね。

彼岸とは



かなたの岸の意味で、この世の中で煩い迷う人の心の不安定を、波立つ川や海にたとえ、その向こう岸の世界をいいます。

彼岸では何も煩うことがなく、平安で静寂そのものです。その安らぎを願って、日本では三月の春分と九月の秋分に、それぞれ七日間を修行に励む期間と定めたのが、お彼岸の行事です。

春分秋分のころは、暑からず寒からずで、修行するのに最も適した時期なので、特にお彼岸は大切とされているのです。

2016年3月11日金曜日

【海べの森をつくろう会】サンフランシスコにいってまいりました


2月末から3月初旬にかけて、公益社団法人シャンティ国際ボランティア会にご紹介いただき、サンフランシスコのJCCCNC(日本文化コミュニティセンター北カリフォルニア支部)のコーディネートを受け、周辺の小学校や高校、老人ホームなどで東日本大震災の語り部の活動と、海べの森をつくろう会の活動の紹介をさせていただきました。


現地では沢山の日系人の方々や、地元の方々とお話しをさせていただき、皆さん東日本大震災の被災地である当地に対して、5年が経過した今でも色褪せず、たいへん大きな気持ちを寄せていただいているということをひしひしと感じました。


上の写真は気仙沼から持参した石に達磨を描くワークショップの様子です。

詳しくはまた改めてこの地福寺ホームページでご紹介をさせていただきますが、まずは速報という形でご報告させていただきます。


本日の地福寺(2016年3月11日、晴れ)


本日は東日本大震災から5年目、本堂には沢山のかたがおまいりされました。


片山住職からご挨拶をさせていただきました。

(前略)みんなそれぞれの状況がございます。
全て仏様は見守ってくれていると信じて頑張っていきたいと思います。

東日本大震災から5年が過ぎて、風化が叫ばれます。
確かにそういう思いもありますが、お寺の新聞でも書きましたけれども、忘れてはならない。
そのことをまた申し上げたいと思うのです。

私たちは周りで沢山の命を喪って、沢山の財産を失いました。
しかし、たくさんのまごころを頂いた。
全国から、あるいは世界各国から。
がんばってくださいという暖かいまごころを頂いたわけであります。

これこそが目に見えない私達の力となっているわけでありまして、
そのことを風化させてはいけない。
という思いがいたします。

どうぞそれを力に、
また頑張ってふるさとの復興に頑張って頂ければと思います。
本日はありがとうございました。

総代長からもご挨拶をさせていただきました。

今日は本当に、
大勢の方々におまいり下さいまして誠にありがとうございます。

私達も危機一髪救われた身ではありますが、
皆さんと一緒にこれから前向きに生きていきます。
今後とも亡くなった方の命日には必ずみなさん、お寺のほうで、
合掌をお願いしたいと思います。

5年前の今日は本当に寒い日でございました。
きょうは本当にお天気に恵まれて、
こういう行事が行われたことに対しては
皆さんのご協力の賜だと思います。

本日は本当に有難うございます。


神奈川県平塚市の加藤知広さんから頂いたチューリップをおまいりされた皆様にお持ち帰りいただきました。ほっこりと暖かい春を感じます。



いのりの広場でもお経をあげ、東日本大震災で亡くなられた方々に祈りを捧げました。



この活け花は池坊師範の鈴木優月さん(地福寺花園会女性部れんげの会の庶務をつとめられています)が定期的に活けてくださっているものです。