地福寺(気仙沼)

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2015年2月26日木曜日

3月10日 東日本大震災 毎歳忌(再掲)

再掲させて頂きます。
3月10日は地福寺本堂にて東日本大震災 毎歳忌をとりおこないます。

地福寺では、平成27年3月10日(火曜日)午後17:30より、東日本大震災 毎歳忌をおこないます。
  • 平成27年3月10日 火曜日 午後17:30より
  • 地福寺 本堂にて
  • 灯明料 千円のご奉納をお願いいたします。
  • 法話「里帰り観音様の功徳(くどく)」臨済宗妙心寺派布教師会 会長 / 島根県 隆興寺 住職 柳楽一学師
  • 供養会
  • 奉納演奏 筑前琵琶 川村旭芳(きょくほう)

筑前琵琶奏者 川村旭芳 (かわむら きょくほう)

筑前琵琶日本旭会 総師範 故・二代柴田旭堂に師事。箏・尺八・胡弓など四人の演奏家で結成された和楽器ユニット「おとぎ」代表。門人会「筑前琵琶 川村旭芳会」を主宰。

独奏の弾き語りを中心に、和・洋・民族楽器、朗読、舞踊など他分野との共演にも力を注ぐ。新しい琵琶語り曲の創作にも取り組み、母・川村素子の作詞による作品も発表している。琵琶語りと朗読・演劇などを組み合わせた音楽劇の創作活動をライフワークとする。1998年より2010年まで、和楽器オーケストラ 邦楽合奏団「鼎」(KANAE)に所属。現代曲においては薩摩琵琶も演奏し、関西の楽団などへの助演も数多い。神戸市出身・在住。


音楽説法グループ カッサパ(三迦葉)の般若心経をYoutubeに公開いたしました。

音楽説法グループ カッサパ(三迦葉)

3月末日まで 震災支援奨学金(スジャータプロジェクト・再掲)

震災支援奨学金(スジャータプロジェクト)の件について再掲させて頂きます。
締切は平成27年3月末日となります。奨学金願書は地福寺にございますので、お声がけください。

地福寺にて、「震災支援奨学金(スジャータプロジェクト)」の募集要項および奨学金願書をお預かりしております。締切は第2期 平成27年3月末日とのことですので、ご希望の場合は早めにお声がけください。

ボランティア団体 スジャータプロジェクトは、東日本大震災発生より仙台、南三陸、石巻、気仙沼、陸前高田と様々な支援をしてまいりました。本年も気仙沼ロータリークラブ様を通して高校生に奨学金をお渡しする支援をさせていただいております。この度、さらに支援を必要としている将来のある生徒さんに奨学金をお渡し致したく奨学金のプログラムを創設致しました。

ご推薦いただく方々には大変お忙しいところ恐縮ではありますが、応募をよびかけていただけるようお願いいたします。


  • 対象者:以下の1〜5の全てを満たす者


  1. 未成年であり、東日本大震災発生時に岩手県、宮城県、福島県の高等学校、高等専門学校、もしくは高等専修学校等(以下高校等)、または小中学校に在籍しており、かつ、以下の条件を満たしている生徒。「応募時点から1年以上の在学が予定されている。」「募集年の4月1日に高校及び大学等に在籍していることが見込まれる。」
  2. 東日本大震災発生時に家計を支える者が岩手県、宮城県、福島県に居住していた生徒。
  3. 東日本大震災の影響により、以下のいずれかの理由で家計が急変し、それにより進学・就学に多大な影響があった生徒。「家計を主に支える方が、他界した。」「家計を主に支える方が、傷病により長期療養が必要となり、就業できなくなった。」
  4. 学業および学校生活に意欲的に取り組む姿勢のある生徒。
  • 給付額:月額20,000円(返済不要)
  • 給付期間:給付開始から3年間または高校大学等卒業までのいずれか短い方
  • 募集人数:若干名
  • 募集期間:第2期 平成27年3月末日
  • 受給者依頼事項:規定による作文や発表等
(一部引用)


2015年2月19日木曜日

3月10日 東日本大震災 毎歳忌

地福寺では、平成27年3月10日(火曜日)午後17:30より、東日本大震災 毎歳忌をおこないます。
  • 平成27年3月10日 火曜日 午後17:30より
  • 地福寺 本堂にて
  • 灯明料 千円のご奉納をお願いいたします。
  • 法話「里帰り観音様の功徳(くどく)」臨済宗妙心寺派布教師会 会長 / 島根県 隆興寺 住職 柳楽一学師
  • 供養会
  • 奉納演奏 筑前琵琶 川村旭芳(きょくほう)

筑前琵琶奏者 川村旭芳 (かわむら きょくほう)

筑前琵琶日本旭会 総師範 故・二代柴田旭堂に師事。箏・尺八・胡弓など四人の演奏家で結成された和楽器ユニット「おとぎ」代表。門人会「筑前琵琶 川村旭芳会」を主宰。

独奏の弾き語りを中心に、和・洋・民族楽器、朗読、舞踊など他分野との共演にも力を注ぐ。新しい琵琶語り曲の創作にも取り組み、母・川村素子の作詞による作品も発表している。琵琶語りと朗読・演劇などを組み合わせた音楽劇の創作活動をライフワークとする。1998年より2010年まで、和楽器オーケストラ 邦楽合奏団「鼎」(KANAE)に所属。現代曲においては薩摩琵琶も演奏し、関西の楽団などへの助演も数多い。神戸市出身・在住。

涅槃図

先日「涅槃会(二月十五日)について」の記事でご紹介した涅槃図(ねはんず)について、地福寺の涅槃図をご紹介いたします。

この涅槃図は、2011年の東日本大震災で被害を受けましたが修復をし、ご覧の状態に復元しております。(以下、涅槃図について再掲)

お釈迦様が涅槃に入られる時の姿を描いたものを涅槃像(涅槃図)と言います。

この絵像には立ち並ぶ沙羅樹の半分が枯れているのですが、お釈迦様の入滅に樹も悲しみ殉じたものだといわれています。また、もう半分の沙羅樹が枯れずに青々としているのは、母、摩耶夫人が兜率天(とそつてん、天上界)から雲に乗って回生の霊薬をもたらされたが、間に合わないので従者に投下させられた時に、樹に引っかかりその霊気を感じて蘇生したためといわれています。

この沙羅双樹の半分枯れ、半分蘇生した姿を「四枯四栄」(しこしえい)と言い、右側の四本は幹・葉とともに黄色または白(鶴林かくりんとも言う)で枯れる姿をあらわし、左側の四本は幹、葉とも緑色で青々とした世紀をあらわしており、また赤色で描かれている場合もありますがこれは栄えるという意味です。
※葬式で白と赤の紙華を供えるのは、この「四枯四栄」をあらわしたものです

また、中央に宝床を設け、お釈迦様が右脇を下にして臥され、それを取り巻く弟子や菩薩、諸天善神から鳥獣昆虫に至るまで、一様に嘆き悲しむ様子が描かれていますが、これは三界一切の生き物をあらわしたもので、仏教が人間だけを救いの対象としていない、ということがよくわかります。

2015年2月6日金曜日

3月10日 東日本大震災 毎歳忌(再掲)


3月10日の夜、地福寺では東日本大震災 毎歳忌をとりおこないます。

東日本大震災 毎歳忌としての法要を営み、今回は筑前琵琶奏者の川村旭芳さんを迎えて、琵琶のしらべに亡き人々を偲びたいと考えています。

詳細については改めてご覧の地福寺のホームページにてお知らせいたします。(再掲)

5月3日 回向院(両国)御礼演奏 - カッサパ(三迦葉)

昨年11月、回向院(両国)にて地福寺出開帳を開催して頂き、沢山の方々にご来場頂きました。本当にありがとうございます。

地福寺出開帳でのカッサパ(三迦葉)の演奏のようす
5月3日、回向院(両国)にてカッサパ(三迦葉)による御礼演奏を予定しております。

詳細については改めて地福寺ホームページ上でもお知らせいたします。


涅槃会(二月十五日)について

お釈迦様はヒマラヤのふもとカピラ城にお生まれになり、二十九歳で出家し、三十五歳で悟りを開かれました。それから四十数年間、ガンジス河流域を中心に、北インドの町から村へと教えを説き歩かれました。そしてすでに八十歳を迎えられたお釈迦様は、自らの最期のときが近づいたことを察し、商業都市ヴァイシャーリの町から最後の地クシーナガラへ向かうために、ガンジス河を渡られました。

その道中、クシーナガラの近くのパーヴァの町で、激しい下痢を伴う重病にかかられたのです。あるいは赤痢だったのかも知れません。それでも苦痛をこらえながら、阿難(アナン)たちの助けを借りてやっとクシーナガラに入られた釈尊は、マツラ族のウパヴァッタナのサーラの樹林に入られました。

「阿難よ、私のためにサーラ双樹(沙羅双樹)の間に、頭を北に向けて床を敷きなさい。私は疲れた。横になろう」と床を敷かせ、「この世で常住なるものは何もない。これが世のすがたなのだから、精進して早く生死の苦悩から解脱しなさい」と最後の教えを弟子達に告げられ、右脇を下にし、足を重ねて横になり、禅定に入られたまま、涅槃に入られました。時、まさに二月十五日の夜半でした。

付き従う人たちの悲しみと歎きは、いかばかりであったか。仏典には「その時、大地が振動し、人々の身の毛がよだち、天上では自然の音楽が鳴った」とあります。

この二月十五日を、わたしたち仏教徒は「涅槃会」と称し、四月八日の降誕会(ごうたんえ、花祭り)、十二月八日の成道会(じょうどうえ)と共に、三仏忌(さんぶっき)として、毎年、各寺院で報恩の法要を営み、お釈迦様の偉徳を讃えるのです。

この行事には「涅槃図」を掲げますが、そこには人間だけでなく、鳥や獣、虫に至るまでが涅槃に入られた釈尊の回りに集まり、嘆き悲しんでいる様子が描かれています。

「涅槃」という言葉は梵語の「ニルヴァーナ」の音訳で、元、吹き消すという意味です。すなわち、迷いや煩悩の炎を吹き消すことで、もはや悩みも苦しみもない世界にはいることです。

涅槃会の起源


二月十五日はお釈迦様が、インドの沙羅樹林で八十歳を一期として入寂された日です。この日、全国の寺院では涅槃会(ねはんえ、涅槃図がかけられ、追慕と報恩の法会)が営まれます。
※涅槃忌、仏忌(ぶっき)、常楽会(じょうらくえ)、遺教会(ゆいきょうえ)、訓読会(くんどくえ)などとも呼ばれ、月遅れの三月十五日に営む寺院もあります

涅槃とは梵語のニルヴァーナの音写で、漢語では滅、寂滅、滅度、円寂などに訳されます。煩悩の火が吹き消された完全なる安らぎをいい、悟りの究極の境地を意味します。

涅槃像について


お釈迦様が涅槃に入られる時の姿を描いたものを涅槃像(涅槃図)と言います。

この絵像には立ち並ぶ沙羅樹の半分が枯れているのですが、お釈迦様の入滅に樹も悲しみ殉じたものだといわれています。また、もう半分の沙羅樹が枯れずに青々としているのは、母、摩耶夫人が兜率天(とそつてん、天上界)から雲に乗って回生の霊薬をもたらされたが、間に合わないので従者に投下させられた時に、樹に引っかかりその霊気を感じて蘇生したためといわれています。

この沙羅双樹の半分枯れ、半分蘇生した姿を「四枯四栄」(しこしえい)と言い、右側の四本は幹・葉とともに黄色または白(鶴林かくりんとも言う)で枯れる姿をあらわし、左側の四本は幹、葉とも緑色で青々とした世紀をあらわしており、また赤色で描かれている場合もありますがこれは栄えるという意味です。
※葬式で白と赤の紙華を供えるのは、この「四枯四栄」をあらわしたものです

また、中央に宝床を設け、お釈迦様が右脇を下にして臥され、それを取り巻く弟子や菩薩、諸天善神から鳥獣昆虫に至るまで、一様に嘆き悲しむ様子が描かれていますが、これは三界一切の生き物をあらわしたもので、仏教が人間だけを救いの対象としていない、ということがよくわかります。