海はいのちのみなもと、海はいのちの輝き
気仙沼地福寺 住職 片山秀光
我が寺の南東に面した部屋から海に突き出た小さな岬が望める。そこに生えている一本のケヤキの木が、東日本大震災の大津波から、十人の命を繋いだ。
あれから四年の月日が流れた。
寺から海岸に至る周辺は危険区域となり、あたり一面枯れ野原で、工事関係者の事務所に緑十字の安全マークの旗がはためいている。
あの日三月十一日、杉ノ下地区に住んでいた斉筵のお婆ちゃんはただならぬ揺れに津波が来ると直感し、主人と息子と3人で近くの岬に走った。「あっ、家が流される」と振り返った時には主人と息子は波に呑まれて消えていった。海岸からバイクを岬にあげようとしていた富永さんも一瞬の間に黒波に巻き込まれた。
海辺に住んでいた漁師の佐藤さんは何かあった時は「位牌を持って逃げろ」と親から常々言われていたという。
その通りにポケットに位牌だけをねじ込み岬に逃げ、たどり着いたその時、足元に梯子が流れて来たのだという。すぐさまケヤキに梯子をかけ「上がれ、上がれ」と叫ぶ、周りにいた斉藤さん、菊田夫妻、三浦夫妻等八人がよじ登り、フェンスに引っかかった瀕死の富永さんを引き上げ都合十人が岬で一晩を明かし、一命を取り留めたのである。
現在、周辺は海岸線の膨張麹や、圃場整備事業などの工事車両が忙しげに行き来し、かさ上げの土や砂利が海辺のあちこちに盛り上げられている。
国道はこうした車で渋滞が慢性化し、お昼ともなれば昼食を買い求める作業員でコンビニやスーパーが込み合う。ガレキを片付けるのにまる三年を要し、わが檀家の八百人は未だ仮設暮らし、公営住宅や戸建住宅、商業、工業地域へのかさ上げ工事がようやくその緒に就いたといっていい。
梯子をかけた佐藤さんは、九十二歳、再開したわかめ養殖に現役で精出している。
一命を取り留めた富永さんは言う。
「海は宝だ、津波は自然のことだ。」と再び船を繰り出し、漁をしている。
「海と生きる。」が気仙沼の復興スローガンである。
未だ親兄弟の多くに行方不明者を抱えているが、何かの事故のように海を恨んではいない。時に怒り狂う海を受け入れなだめ、恵みを頂く古来からの生き方を再開しているのだ。
「海は恐ろし 海は懐かし今朝の秋」
菊田島椿 海の俳句大会特選句
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